事の発端はイタリアで誰もが知る『ルビー事件 (Caso Ruby)』。
昨年、盗難でミラノ警察に拘束されていたモロッコ人で、
自称ダンサーのルビーちゃん(当時未成年、不法滞在者、
本名カリマ・エル・マフルーグ)を釈放するようにと、
ある日、ミラノ署に連絡をしてきたのは政府筋の人間でした。
その理由は『彼女がムバラクの姪だから』というもの。
電話口に出た担当警察官『ムバラクって誰だ?』(苦笑)
政府筋『エジプトの大統領だろ!』と苛つき気味に応答。
(もちろんそんなの嘘。政府筋がそんな嘘をついていいのか?)
そして、政府筋からルビーの後見人として送られ、警察署に
彼女を迎えに来たのはロンバルディア州の女性執務官でした。
(彼女もずっと昔はベルルスコーニ首相の歯のお掃除を担当
していた歯科衛生士 (当時25歳) だったらしい…)
でも、なんでそんな小さな事件に政府が関与するのか…、
という疑問は当然残り、そこから再び浮上したのが一連の
首相の未成年売春疑惑…。もちろん、首相もルビーちゃんも
その関係については否定しています。
さらに続く、首相の『若くて奇麗』であることが女性の価値を
決めるような言動、『女は金持を見つけて結婚するのが一番』
といった発言に、もうこれは、政治とか、政党とか、国策とか、
お騒がせ首相のレベルの問題じゃなく、女性の尊厳そのものを
傷つける一大事だ!
と、女性映画監督クリスティーナ・コメンチーニが音頭を取り、
『今でなければ、いつ? (Se non ora, quando?) 』グループを創設。
※Primo Leviの名作『Se non ora, quando?』に由来
女性が記号化・商品化されつつあること、長年に渡って獲得して
きた女性の人権が後退への道を辿りつつあることへの危機感を、
インターネットで訴え、ベルルスコーニ首相辞任を求める署名と
抗議集会への参加を呼びかけたのでした。
という流れで、昨日2月13日、イタリア主要都市の広場には
ベルルスコーニ首相に対して辞任を求める多くの国民が集まり、
平和的な抗議集会が行われたわけです。一部の報道によれば、
イタリア全土で100万人以上の人々が集まったそうです。
私も多くの友人たちに誘われ、昨日14:00にポポロ広場へ
向かいました。私が到着した頃はすでに広場はものすごい
数の人々で埋め尽くされていて、人をかき分けながら広場の
中央に進むのがやっと。
政治的な集会ではないと謳われていた通り、左派も右派も
フェミニズムもなく、インテリ層も、主婦も、キャリア組も、
男も、女も、老いも、若きも、子供たちまでもが参加する
パワルフな集会でした。
政治的な意図や思惑がなく、純粋な同じ目的を持って
集まった人々がつくるパワーは感動的です。
今ここで何とかしなければ、本当にこの国は駄目になる、
という想いと危機感がひしひしと伝わってきました。
ヨーロッパでは『それはおかしい』と思えば、一般市民が
団結し、御上に物申し、自分たちの生活を向上させるべく
広場に降り立ち、声をあげます。
私自身、日本でこういった集会に参加したことはありませんが、
イタリアでは(少なくとも日本より圧倒的に)『署名』や『参加』
を求められることがあります。だから、普通に生活していても、
とくに気にはしていなくても、政治や人権問題に目が向きます。
平和的解決を好む、声を荒立てて騒ぎ立てないのが日本人の
特徴でもあり、良き面でもありますが、長年、海外に暮らして
いると、日本人も時にはもっと熱く、自分の意見を主張しても
いいのでは、と思うことがあります。
私たちはちょっと『クール』過ぎるかもしれません。
そうそう、この抗議デモは、実は東京(イタリア文化会館前)
でも行われたんです。在日イタリア人女性会が集まったそう
ですが、TVの映像ではほんの少人数によるものだったよう。
参加を呼びかけた在日本のベアトリーチェ・ロンバルディさん
がインタビューで応えていたのフレーズが印象的でした。
Se non si inizia da qualche parte, non si va da nessuna parte.
どこかで誰かがはじめなければ、
私たちはどこへも辿りつくことができない。
アッティコ・ローマ
村本幸枝