週2回、私のイタリアの家にお掃除に来てくれる女性は
モルドバの人。私の帰国中には鍵を渡し、残された猫の
世話もしてくれるから安心して家を空けられます。
日本では『家政婦さんがいる=贅沢』と思われがちですが、
共働きの家庭や一人暮らしの老人が多いイタリアでは、
家政婦さんやベビーシッターを雇うのはごく一般的。
そういった仕事を担っているのが仕事を求めてイタリア
へ渡ってきた移民たちです。
イタリアではルーマニア、ポーランドといった東欧の人が
多いのですが、先日、パリ在住の友人と話しをしていたら
フランスは北アフリカやポルトガルからの家政婦さんが
多いのだとか。同じ欧州でも移住しやすい国があるようです。
アンナ(うちの家政婦さん)は数軒の家を掛け持ちして
いますが本当に働き者。手際よくさっと家事をこなします。
私とさほど年齢が変わらないのにまるでお母さんのよう(苦笑)。
アンナはモルドバで内戦と貧困が激しくなった1990年代、
幼い子供二人を連れてご主人と隣国ルーマニアへ移住。
小さな雑貨屋を開き、東欧のプチバブル経済のおかげで
それなりに生活も安定してきたところに世界不況の波が
押し寄せ、次第に生活が苦しくなっていったのだそう。
彼等は新しい生活の地を求めてイタリアへ渡る決意をし、
まずは先発隊としてご主人が単独で出発したそうです。
お金もない。滞在許可書もない。
だから、イタリアへの入国も認識されたくない。
どんなルートだったのかはよく分かりませんが、
ご主人は徒歩で山越えをしイタリアへ入ったそうです。
その後、消息が完全に途絶えた2週間近くの間、
残された家族は生きる思いがしなかったと、
今だからだろうと思いますが、アンナは明るく語ります。
渡伊から数年。
ご主人はせっせと基盤をつくり、滞在許可書と
仕事を得て、家族をイタリアへ呼びよせたそうです。
上の娘さん(23歳)は大学へ入り、学業を続けながら
母親と同じく家政婦さんのバイトをしていたとき、
たまたまピンチヒッターとして出向いた先のイタリア人
医師と恋に落ち、今年、目出たく婚約を果たしました。
その彼がはじめてアンナの家に招待されたとき、
『娘さんを僕に下さい!』と言われたお父さんは
緊張のあまり一瞬かたまってしまったとか(微笑)。
アンナに『あなた、ほら、何か言ってよ!』と
つつかれて我に返ったお父さんは少し目を潤ませ
ながら彼の手を取ったのだそう。
多分、彼等にしてみれば娘が大学で勉強をし、
イタリア人のしかも医者の妻になるなんて、
夢のまた夢のような話しなのだと思います。
当初、さんざんつき合った挙げ句、娘は最終的に
捨てられるのではないかと心配してアンナでしたが、
国境なき医師団としても活動するお相手の彼が
本当に娘さんを大切にする姿を見て今は幸せそう。
そんな報告を聞きながら『よかったねぇ〜』と、
アンナの手を取りちょっと目をうるうるさせた私。
共に苦境を乗り越えた家族の絆は強く愛が深い!
彼等を見る度に暖かい気持ちになります。
アッティコ・ローマ
村本幸枝