イタリアにおける他人

一昨日はある検査があって病院へ。
国が指定する病院では健康保険が適応されますが、
予約を申請してから診察日まで待つこと4ケ月(驚)!

それでも、一応、コネなるものを使ってというのが
またさらに驚きです。半年待ちというのもざらです。
もちろんプライベートクリニックを利用すればそんな
に待たされませんが、診療費は全額負担になります。

その辺のシステムについてはあらためて触れるとして
今回は待合室で順番を待っているときのお話しです。

私を含め5, 6人が腰掛けていた待合室に現れた女性は、
1階の受付が昼休みで閉まっていたため、診察に必要
な用紙はもらえずに2階の待合室へ上がってきました。

『受付けを通さず来ちゃったんだけど大丈夫かしら?
3ケ月も待たされた上、わざわざこの雪の中を出て
来たんだから出直しなんて絶対に考えたくないわ…』
誰ともなしに嘆き呟くその女性。

それを受けた待合室の中は、
『用紙は必要なんじゃないかな…』
『予約が入っているなら大丈夫ですよ』
『先生に事情を説明してなんとか診療してもらったら』
と、とたんに賑やかな状態に。
それをきっかけに次第におしゃべりに花が咲き。

思うにイタリアではしかるべき情報がしかるべき窓口
で得られないため、同じ立場にいる見知らぬ他人から
積極的に情報を入手せざるを得ない背景があるのでしょう。

XXから来たのだけど雪で大変だったわ。
あっ、私の家もその近く。道路が真っ白でしたね~。
帰りは大丈夫かしら?

うちの母が先日85歳で運転免許の更新をしたんだけど、
そんな高齢で運転するなんて心配で心配で。
公共交通機関が機能しないから車は必須だしね~。

うちの息子が…。私の姉は…。去年の夏のバカンスで…。
たかが30分ほどの時間なのにそこに居合わせた見知らぬ
他人同士の間で互いの日常話しにまで発展。
仕舞には久々に顔を合わせた友達同士のようなノリに…。

これって日本じゃあり得ないなぁ~。
(しかも田舎の町ではなく首都で) 客観視しつつも
そんな時は私もイタリア人と化して仲間に入り、
イタリアならではの醍醐味を味わい楽しみます。

(東京で一人ぶつぶつ言いながら病院の待合室に
現れたら変な人で片付けられますよね…苦笑)

そんな時に思い出したのが、以前ちょっとした機会に
知合った長年ローマで暮らす日本人女性のことでした。
80歳を超えるその女性が、日本人のご主人とローマで
暮らし始めたのは1960年代と伺った記憶があります。

彼女と知り合ったのはもうずい分前のことですが、
その時はすでにご主人は他界されていて、
お子さんもいらっしゃらなくおひとり住まいでした。

その時代に海外へ渡った日本人女性に共通するように
その方も非常に気骨で不屈の精神をお持ちの方でしたが、
その後、風の噂で帰国を考えていると耳にしました。

イタリア生活の方が日本より圧倒的に長いにも関わらず、
最後には自分の国が恋しくなるものなのかと、その時ふと
思ったのですが、帰国するにあたっての不安材料として
彼女が心配していたことがとても印象的だったのです。

『日本に戻ったら一日誰とも言葉を交わさない日があるかも』

イタリアでも日本でも高齢者の一人暮らしには変わりない。
でも、イタリアだったら、バス停で、地下鉄の駅で、
バールのカウンターで、スーパーのレジに並ぶ列で、
例えば、病院の待合室で、必ずどこかで誰かと言葉を
交わす機会がある。日本だったらどうだろう…。

それがその方がもっとも心配していたことでした。

その後、彼女がイタリアに留まったのか、帰国したのか、
もしかしたらすでに他界されているのか、私に知る術は
ありませんが、イタリアに片足を突っ込んだまま、
もう一方の足を自国に残している私自身もいずれ直面
する課題なのだと、その時、思ったのでした。

まぁ、私は迷うことなく日本を選ぶつもりですが、
許されるなら、もうしばらくはイタリア&日本の
『半々美味しいところ取り』を続けていたいです(笑)。

アッティコ・ローマ
村本幸枝