日本における制服の目的は、学生たちの
統制を取り、秩序を保つためのものなのだ
と思います。誰かがとりわけて目立つことも
なく、みんな平等であることがコンセプト。
だから呆れるほど過剰なチェック (シャツの色、
スカートの長さ、ソックスの種類など)をしていた
学校もあったよう (私が学生の頃ですが…苦笑)。
「バカバカしい!」と内心では思っていたけど、
学校っていうところはそういうところなのだと、
(みんなが同じでいるべきところ)
とくに深く考えることはありませんでした。
ところが、へぇ~、そんな考え方もあるのね、
と目からウロコだったのが、ある時ある席で
一緒になったフランス人の話しでした。
貴族の家に生まれ、英才教育を受けた彼。
フランスの学校は私服が一般的で制服の
ある学校はエリートを育てるための私立
の学校であることが多いそうです。
学校は将来その国を担う人物を輩出する
ことを目的に、それに相応しい教育を
施すそうです。
そのことと制服がどう関わるのかと言うと、
まずは外見を統一し(同じに見せる)、そして、
その上でいかに目立つか、自分に注目を
集めるか、その方法を学び取ることが
制服の定義だと彼は言うのです。
一番手っ取り早く目立つ方法は外見を
奇抜にすること。ただ、それは誰にでも
できるし、仮にその時は人目を引いたと
しても、いずれ人は飽きてしまうはず。
自分の考え方、話し方、教養や知識、
身のこなし方、人との接し方だけを武器に、
エリート集団である多くの学生たちの中で
いかに自分を印象づけるか、そういった内面
の力を身につけるための制服なのだそうです。
その話しを聞いたとき、同じ制服でも
その概念は日本のそれとずいぶん違う
もんだと、衝撃的だったのです。
(ちょっと大げさだけど本当に驚きました)
どちらが正しいという話しではなく、
集団の中の一人として自分の居場所を
確立する日本人と、個々の集まりが集団
を形成する欧米社会との違いなのだと、
その時つくづく考えさせられたのでした。
アッティコ・ローマ
村本幸枝