そろそろサッカーW杯。
なんて通勤中の電車の中で考えていたら、ふと個人的なW杯の思い出
は1986年まで遡れるなぁ…としみじみ(年齢がわかっちゃいますね)。
1986年はロンドンでW杯観戦してました。もちろんテレビで。
遊学中だった私 (留学とはとても書けない…遊んでましたから..苦笑)。
ブラジル人やイギリス人の友人たちが、マラドーナのプレイを食い入る
見ていたのと対照的に、その横で私はルールも分からずポカンとしてた。
1990年はすでにローマに移住。
開催国がイタリアでかなりの盛り上がり。連日フーリガン情報が流れ、
ボスがテルミニ駅で捕まり、イギリスに強制的に戻されたとかで大騒ぎ。
夜になると店のウインドウが破壊される!と、噂が流れ、街なかの
ショップのオーナーたちは気が気じゃなかったんです。イタリアの
試合が行われる夜はローマから人が消え、イタリアが勝ち進むごとに、
試合後の街は大混乱。
便乗して私もイタリアの旗を持って車で走り回ったなぁ…(恥ずかしっ)。
そんな若かりし日もあり…。
1994年はサルデーニャでバカンス中。
日本とイタリアの友人を募り、それはそれはゴージャスなプライベート
ビーチ付きの別荘を借りて、はじめての豪遊!海で遊びつつ、たまに
横目でテレビを見たりなど。でも、サルデーニャの海があまりに美しく、
W杯はどうでもよかったです、ニッポンも出てなかったしね。
1998年は再びサルデーニャでバカンス。
1994年に続く第二弾。またまた友人を募って別荘で豪遊!
船を借りてクルーズしている内にフランス領のコルシカ島まで
たどり着き、こんなのあり?と言いながら、パスポートもなしで
適当に上陸。不法入国のまま海岸線を散歩。その時、オープンバーに
設置されていたTVで放映されていたのが、日本とジャマイカの試合。
この年は灼熱の太陽のもと、ローマのオリンピックスタジアムに設置
されたビッグスクリーンで流していたイタリアVSフランスの試合を
リポートするというTBSブロードキャストのお仕事も頂きました。
で、イタリアが勝てばそこで終了だったはずのお仕事が、まさかの
敗戦で、午前3:00に朝刊を買いに走り、コメントを訳し、日本に
送る作業が発生(泣)。12:00からスタジアムに待機、撮影した映像を
衛星で飛ばし、新聞を訳し、寝床に入ったのは翌朝7:00でした…。
2002年はイタリアチームと行動!
W杯の年は4年に一度のサルデーニャ旅行だね!なんて盛り上がって
いたら、イタリアチームに帯同するという名誉あるお仕事が舞い込み。
5月から仙台に詰め、間近でW杯に触れる素敵な機会を持ちました。
笑ったのはFIFAのパスをつくるための選手たちのホテルでの撮影。
事前に実際スタジアムで着るユニフォームを着てきてね、と
伝えてあったのに、カンナバーロを先頭に全員がジャージ姿で登場。
スタメン紹介の際にスタジアムで使う写真にもなるのでジャージ
はNG。でも、着替えてきてのリクエストに面倒くさそうな一同。
じゃあ首の部分を出してくれれば、ちょっとカッコ悪くなるかも
しれないけど、なんとかCG処理しますとカメラマンが譲歩すると、
その『カッコ悪くなるかも』のひと言に全員が反応(笑)。
さすが、イタリア人。カッコ悪いのは嫌なんですねぇ。。。
誰かが持って来たユニフォーム2枚を、その場で脱いでは着て、
着ては脱いでで、選手たちの着回しにより撮影は無事終了。
たくましい皆さまの上半身ヌードもばっちり目に焼き付け♪
そして、後に残った2枚のユニフォーム。
これ頂いてオークションにかけたら高値がつくだろうな…と、
悪魔のささやきと葛藤した私でした…(苦笑)。
2006年、イタリアが優勝!
イタリア準決勝のあたりに撮影でナポリにいたのですが、
試合に勝った後のナポリの盛り上がりと言ったら、すごかった!
でも、なによりもすごかったのは優勝後の選手たちの凱旋。
別にそれを見に行ったわけではないのですが、凱旋ちょっと前の
時間に、会場のチルコ・マッシモの近くをたまたま通ってしまった私。
スクーターだから大丈夫だと思っていたらとんでもない!
歩道も車道も、停まっているんだか、そこを通りたいんだかわからない
人、自転車、バイク、車で、パンク状態。警官、サポーター、一般人、
旅行客が入り乱れて立ち往生すること1時間。でも、あのお祭り気分的
一体感はそうそう味わえないですからね、いい思い出です。
そして、2010年。
今年はどんな思い出をできるのかな…?
アッティコ・ローマ
村本幸枝