イタリアで初の仕事

イタリアで暮らしはじめて、早、★0年。
はじめて得た仕事はショップ店員でした。

当時、ローマで仕事を探していた私に、
『新聞に日本人募集の広告が出てたわよ』と、
教えてくれたのはイタリア系カナダ人の友人。

早速、新聞を買いに走り、チェックしてみると、
『エンリコ・コベリ ローマ店オープンに伴い、
日本人女性のショップアシスタント募集。
英語の知識を持つ方が希望』という内容。

早速、電話をかけてみることに。
私『募集広告を拝見したのですが…』
相手『君、イタリア語は話せるよね』
私『はい』
相手『英語は?』
私『はい、話せます』
相手『そう、じゃあ、決まり、採用。
明日の10時にお店に来て。では、よろしく』

今までの私の人生の中でもっともスピーディに
決まった仕事でした(笑)。
いかに当時、ローマに住む日本人が少なく、
そのいっぽうで日本人の旅行客が多かったかを
物語っていますよね。

どの店もたくさんのお金を落していく日本人旅行客
を取り込もうと必死になっていた時代でした。
日本はまさに黄金期。バブルへ突入しようとして
いた時代でした (ここでだいたい年齢がバレます…苦笑)。

ところが、当時、日本ではエンリコ・コベリはさほど
知名度がなかったので、日本人のお客さんなんて
来やしない。その大半はイタリア人。

ここから私の奮戦記がはじまりました(苦笑)。
イタリア語の日常会話には困らなくても、
洋服の種類までは把握していなかったその頃の私。

客『フゾーを探しているんだけどあるかしら?』
私『心の中で…フゾー?なんじゃいそれは?』

まさか、お客様に『フゾーって何ですかぁ?』
なんて尋ねるわけにはいかないので、
『こちらはいかがですか? 今年の新作ですよ!』
と、図々しくトレーナーを見せる私に
『それはフェルパでしょ。フゾーよ、フゾー。
私が探しているのは』とお客様。

何度か連想ゲームを繰り広げるうちに、
やっと辿り着いたフゾーはレギンスでした…(爆)。
イタリアでも今はレギンスと呼ばれています。

フゾー自体も、もともとはイタリア語ではないと
思います。ちなみにその頃、日本でレギンスは
スパッツと呼ばれていました。
(ここでも年齢がバレます…苦笑)

イタリア人はよく『語学を学ぶならベッドの上で』
と言いますが、私の経験上、仕事で赤っ恥をかいた
ときの言葉ほど、即、頭に入るものはないですね。

さらにベッドで語学を学ぶというのも限界が…。
(この辺についてはあまり多くを語らないことにします…笑)
まぁ、『ベッドの上』っていうのは、その国の人と
お付き合いする、という意味だと思いますが。

私の個人的な経験によれば、外国語上達の秘訣は
(もちろんベースがあってのことですが)、
『自分の能力より一歩上の仕事で使う』
『恋人と真剣にケンカをする』
このふたつにつきるかと思います。

アッティコ 村本幸枝