ローマから成田への生還

あれは忘れもしない1987年の夏。
当時、つき合っていたイタリア男と大げんかをした私は、
売り言葉に買い言葉で『そんならもう日本に帰ってやるーっ!』
と啖呵を切って、炎天下の中、その足で旅行会社や航空会社へ
向かったのでした。

その頃はもちろん、携帯電話もないし、ネットもない。
時はバカンスシーズン真っ最中の7月末。
とにかく、すぐに発てる便を、というのが条件で出て来たのが、

1) JAL 片道60万円ほど(だったと思う)
直行便などなく、ローマからコペン、そしてアンカレッジ経由で成田。

2) SAS 片道35万円ほど(だったと思う)
こちらも確か、JALと同じような経由だった記憶が。

そして、私が選んだ第3番目の候補。
一抹の不安はあったものの、その値段の安さ(それでも27万円!)に
魅力を感じ、思わず手を出したのが間違いでした…。
選んだ便は、パキスタン航空….。
(アテネ→ローマ→カラチ→北京→成田)

アテネからすでに遅れてローマに着いた便に乗り込み、カラチまでは
とりあえず、3時間遅れで到着。乗り継ぎをしようとしたら、
『あぁ、その飛行機、もう行っちゃったよ』と、軽く済まされ…。

『じゃあ、これから皆さんをホテルにお連れします』の案内で
グループで旅行していた人たちが順にそれぞれツインに入れられ、
残ったのが20代の私と30代のギリシャ人ビジネスマン。
二人ともひとり旅。

『えっ?えっー!』と思う暇もなく、二人は部屋に押し込まれ、
ツインベッドを目の前に、お互い『はじめまして』の挨拶。
取り乱してはいけない、と平静を装いながらも『これあり?!』
『イスラム教の国って男女のことに厳しいんじゃないの?!』と、
内心、冷や汗たらり。

救われたのはギリシャ人が紳士だったことと、チェックインが
朝5:00で、次に乗り込む飛行機が20:00だったことで、
『夜=就寝』という展開にならなかったこと。
ちなみにこのギリシャ人はファーストクラスに乗っていたのに、
エコノミーの私とツインに。それもありえないですよね。

気を取り直して洗顔しにバスルームの水を出したら蛇口から
出て来たのは赤錆色の水。トイレにはペーパーもなく水差しが
あるのみ (パキスタン風ウォシュレット)。湿度は90%以上(泣)。
ちなみに4つ星ホテルです…。

案内されるがままに朝食ルームに行き、とりあえず現地のお金
に換金しようと思ったら、なんと、円とリラ(当時)は換金不可。
無一文の私はミネラルウォーターを買うこともできない(大泣)。

結局、紳士のギリシャ人にお水を買ってもらい、貸切タクシー
での終日観光に便乗し、高級ホテルでランチをご馳走になり、
見返りを強要されることもなく、快適なカラチでの12時間を
過ごしたのでした。

映画だったらここで恋が芽生え、私は玉の輿〜!ってことに
なるんでしょうが、残念ながらそれはありませんでしたぁ。
まぁ、紳士は結婚したばかりの新婚さんでしたから。

さて、カラチから15時間遅れで出発した北京行きの飛行機は
悪天候のせいで急遽上海へ。機内で待つこと4時間強。
天気回復を待って再び北京へ向かい、やっと北京に到着。
もうその頃は日付も時間もまったくちんぷんかんぷん。

ギリシャ紳士は北京で降り、北京からまた乗客が乗り込み、
晴れて成田へ! その頃になると、疲れ果ててぼーっとしていた
私は窓から離陸の様子を確認した後、意識不明に…。

深い、深い眠りに入り(入ったと錯覚していた)、目が覚めたら
着陸態勢に入っていることに気づき『あぁ〜、やっとニッポン!
北京と成田って近いんだぁ』なんて感激していたら、どうも
様相が違う。日本っぽくない。窓の外では自転車に乗っている
人が大勢飛行機を目指して滑走路を走ってくる。
夢かと思って、目をこする私…。

そう、北京から飛び立った飛行機は故障し、ガソリンを
ばらまきながら再び北京に戻り、自転車に乗った大勢の人
たちは故障を直す、エンジニアだったのです。。。

そして、機内で待つことまた4時間強。修理不可能。
例え修理が完了しても、そんな飛行機では帰りたくない!
最後はバスに乗せられ、3時間走り、なんだかよく分からない
田舎町のビジネスホテルに突っ込まれ、1泊した後、翌朝、
JALで成田へ帰ってきたのでした。

パキスタン航空はこの便のためにいくら使ったんでしょうね?
飛行機、飛ばさない方がお互いのためになったのに。

ちなみに中国の夜は、乗客のパキスタン人、イタリア人、
日本人がそれぞれ空港の免税店でお土産用に買ったワインやら
ウイスキーを持ち寄って朝まで部屋でうらみつらみの大宴会。

ちゃんぽんに慣れていないイタリア人は翌日の成田行きの
飛行機でシートを4席を占領し、青い顔で苦しそうに
うなっていました。

その時は笑えなかった私の『ローマから成田への生還物語』も
今ではこうしてコラムのネタになっています(笑)。

アッティコ・ローマ
村本幸枝