読売新聞社主催の「イタリア・フェスティバル in 東京ドーム」で
日本に帰国した1月上旬から早3ヶ月。久しぶりにイタリアへ
戻ってまいりました。
成田を発ったのは3/31。やけに報道陣の姿を見かけると思いきや、
帰りの飛行機には前日にバーレン戦を終えた中村俊介選手が搭乗
しておりました。実は近々俊介選手とはある仕事でご一緒することに
なっていて、これも何かの縁では?と、勝手に納得した次第です。
さて、ローマへ戻るとニュースはローマ法王一色。
私が到着した3/31から報道機関はずっと法王の体調を追っていました。
4/1、サン・ピエトロ広場まで続くコンチリアツィオーネ通りへバイク
で入ろうとしたら進入できず迂回することに。各地から多くの信者が
詰め掛け、周囲は警察による交通整理でバチカン周辺は身動きがとれ
ない状態でした。
4月2日21時37分、ローマ法王は自室で亡くなりました。
最後まで病院へ行くことを拒んだそうです。
サン・ピエトロ広場は涙を流す人々で埋め尽くされました。こうして
見るとヨハネ・パウロ2世が人種や宗教を越え、どれほど多くの人々
から信頼され、愛されていたのかを痛感する思いです。
「これほどまでに世界中を飛び回り、異教徒との交流を深め、若者た
ちに接し、子供たちに触れた法王はいなかった」というのが、人々に
共通するコメントです。
告別式は金曜日か土曜日の予定で、ローマ市はそのための準備を進め
ています。見本市会場やスタジアム、パラッツォ・デロ・スポーツが
世界中から集まる巡礼者の滞在先として解放され、市内の各地には駐
車場やそこからサン・ピエトロ寺院まで行くバスが特別に設けられる
ことになっています。
本日の新聞で「Giovanni Paolo Secondo(ヨハネ・パウロ2世)」は
「Giovanni Paolo il Grande(偉大なるヨハネ・パウロ」と記されて
いました。