地震が奪ったもの、地震がくれたもの

2011年3月11日。
その日の朝は電話で起こされたました。
前日が遅く、まだ半分眠っていた私に
「日本が大変なことになってる!」と、
真っ先に連絡をくれたのは友人のカルロでした。

2009年4月、イタリア中部アブルッツォ州
の州都ラクイラを襲った地震で家を失った
カルロとパオラ。そんな彼等にとってテレビ
に映し出される日本の悲惨な光景は人ごと
ではなかったのだと思います。

そして、耐震建築だったはずの3階建ての家が
崩壊してから5年が過ぎたこの春、彼等は無事
に自宅の再建を終え、ラクイラへ戻りました。

そんなパオラから、ご主人カルロの誕生日会
をやるから来ないかと、誘いの電話をもらい、
先日、1泊で遊びに行ってきました。
(ローマからは約120km)。

「誕生日会なんで柄じゃない」とパオラの
案を却下したカルロだそうですが、パオラは
彼に内緒で着々と会の準備を進めたそうです。
ラクイラへ戻ってはじめての誕生日。
しかもカルロは古希を迎えるという
めでたいこと続きの特別な日だったのです。

B&Bを営む友人宅でごく内輪の誕生日を
兼ねた夕食だと思い込んでいたカルロ。
でも、そこには30名近い友人たちが待機。
灯りを消し、静かに待ち、彼等が入ってきた
瞬間にクラッカーを鳴らし歌う、という段取り
だったのですが、それができないイタリア人。

暗い中フラッシュ使用で写真は撮り続けるわ、
(窓から光が漏れてばれる)、おしゃべりは
やめないわ、同時に「シィーーー!」とそれを
制す声が上がってそれ自体もうるさいわで、
まったく統制が取れず、とても50を過ぎた
大人たちの集まりとは思えない賑やかさ(苦笑)。

そんな困難(?)を乗り越えてとりあえず、
カルロを驚かせることには成功した一同。
うるうる気味のカルロを目にして満足そうな
奥様のパオラが「今日集まった友人はね、
地震の後に知り合った人たちなのよ」と、
私に語り始めました。

地震によって疎遠になってしまった友達。
地震によって堅く結ばれた新たな友人。
当時は自分たちを支えるだけで精一杯で、
同じ痛みを分かち合える同じ境遇の人
としか上手く付き合えなかったというパオラ。

「あなたの横に座っているアレッサンドロ。
昔から顔は知ってたんだけど、ラクイラに
いる時は言葉を交わしたこともなかったのよ」

地震後、一時的に移り住んだペスカーラの
街なかで、同じく家を失い、同じ街に移住
したアレッサンドロと遭遇。
そこから交流がはじまったそうです。

家がある人は部屋を、時間がある人は
ない人の家族の面倒を、炊事ができる
人は大人数の食事を。それぞれができる
ことを提供し合って一緒に難を乗り切った
彼等は私の家族、と続けるパオラ。

震災後、持寄りでクリスマスを祝った
仲間たちとは、今でも毎年、クリスマス
(イタリア語でナターレ)の前に「ナタリーノ」
(小さなクリスマス)と名付けた彼等だけの
クリスマスを過ごすのだそうです。

家と同時に多くの思い出の品々を失った
カルロとパオラですが、やっと私のような
ある意味部外者にも声をかけてお祝いが
できるようになったことを、本当に心から
嬉しく感じた夜でした。

アッティコ・ローマ
村本幸枝